福井県の永平寺を訪れてきましたので、その感想をまとめます。
永平寺は、道元禅師によって開かれた曹洞宗の大本山。
以前から一度は行ってみたいと思っていましたが、東京から距離もあり、なかなか機会がありませんでした。
この日は腕や肩を痛めていてヨガの練習ができず、さらに特に予定もない休日。
「今日しかないな」と思い立ち、市街から足を運びました。
結論から言うと、本当に行ってよかったと感じました。
座禅体験で感じた「場の力」
まずは一般向けの座禅体験に参加。開始の2〜3分前というギリギリの到着でしたが、なんとか間に合いました。
厳かな空間が生む集中
一般向けの体験なので、特別な体験があるわけではありません。
それでも印象的だったのは、空間の力でした。
薄暗い室内、壁に向かって座る曹洞宗のスタイル。
写真では知っていた光景ですが、実際にその場に身を置くと感じるものがあります。
長い年月、修行が続けられてきた場所特有の静けさ。
言葉にしにくいですが、積み重ねられた集中のエネルギーのようなものを感じ、自然と意識が整いました。
また、禅ならではの、一つひとつの細かい所作が決められている感じ、個人的にたまらなく好きで毎回感動してました。
宗派による違いも興味深い
臨済宗の座禅との違いも学べました。
たとえば手の組み方(法界定印)。
曹洞宗では右手の上に左手を重ねますが、臨済宗では逆になります。
こうした細かな違いも、実際に体験すると理解が深まります。
想像以上だった境内のスケール
座禅の後は境内を巡りましたが、まず驚いたのはその広さです。
北鎌倉の臨済宗、建長寺や円覚寺のようなイメージを持っていましたが、それ以上の規模。
さすが曹洞宗大本山という迫力でした。
大本堂で自然と涙が出た理由
最後に訪れた大本堂では、自然と涙がこぼれました。
理由は、自分のことではありません。
この場所には、長い歴史の中で
「自分のためではなく、衆生のために尽くす」
という実践が積み重なってきた。
その姿勢が、言葉ではなく空気として伝わってきたように感じたのです。
こういう場所が日本にあってよかった。
このような教えが受け継がれてきてよかった。
色々な想いが浮かびます。
そしてまた、自分に目を向けると、「自分はまだまだ自分のことばかりだ」と、責める気持ちではなく、
「まだまだ伸び代があるな」
という、静かな気づきでした。
心に残った言葉
境内には、写真とともに多くの言葉が掲げられていました。
座禅後の整った状態で読むと、どれも深く入ってきます。
誓いを立てるということ
- 生き物をむやみに殺さない
- 他人のものを欲しがらない
- 淫らに欲しすぎない
単なる理想ではなく、「誓う」という行為そのものに意味があると感じました。
靴を揃えるという実践
「靴を揃えると、次に履きやすい。
そしてそれをあらゆる場で、実践し
皆が揃えれば、世界も揃う。」
少し極端にも聞こえますが、理には叶います。
日常の小さな行動が、心の状態をつくる
という本質的な考え方だと思います。
自分は部屋を片付けるのが苦手です。
今回の訪問で気づいた、自分の課題
1. 丁寧に行動すること
自分はせっかちで、片付けも苦手なタイプです。
つい横着してしまうこともあります。
一つひとつの動作を丁寧に行う。
これは、これからの大きなテーマになりそうです。
2. 「周りのため」という視点
参拝中、不思議と
「周りのために動かないとな」
という感覚が自然に湧いていました。
境内にも「自分ではなく周りのために」という言葉が複数あり、
身に染みます。
まとめ:静けさが教えてくれるもの
今回の訪問は、何か特別な体験というよりも、
- 伸び代を感じる
- 行動の質を見直す
- 今後の在り方に対して考えが固まる
そんな、静かな学びの時間でした。
重く受け止めすぎる必要はありませんが、
これからの日常の意識に、確実に影響を与えてくれそうです。
もし、機会があれば。
永平寺は、ただ観光する場所ではなく、自分の状態を見直す場所として、とてもおすすめです。
静けさの中で、自分が少し整う感覚を味わえると思います。