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なぜやりたいことをすべきかについて

最近大切にしている、やりたいことをやることがとにかく良いのでは、と思っていることについて。

目次

その行動が将来にどんな結果をもたらすかの予想はできない

僕の価値観の中で大切にしている二つの価値観がある。

その行動が将来にどのような影響を及ぼすかは予測できない、ということ。

職業を選択する例をとると、医者になろうが弁護士になろうが消防士になろうが、総理大臣になろうが、その選択が正しかったかどうか幸せになれているかどうか、満足できるかどうか、というのは予測ができない。

夢と思っていたものが叶った結果不幸になる人もいるし、もちろん幸せになる人もいる。

ただ、その選択が短期的にはどうなるかは予測できても長期的に見ると正しかったかどうかはわからない。

五年十年も経った時にどうなるかはわからない。

そのため、行動の選択で無駄に悩む必要はない。

物事の良し悪しは相対的でしかない

その行動が将来正解になるかの予想はできないし、さらにそれが正解かどうか間違ってたかどうかの判断も相対的でしかない。

一般的にお金持ちと見られる人も、ある人から見ると可哀想に見える場合もある。

小さい子供から見ると、なんの印象にも残らないただのおじさんに見えるかもしれないし、ヨギーから見ると哀れみの対象に移るかもしれない。

お金持ち本人はなんとも言えない虚しさや、絶望に陥ってるかもしれない。

有名になっても、夢が叶っても、それが良かったかどうかの判断をするのは難しいし、どこまで行っても個人の価値観であったり、そもそも相対的なものでしかなかったりする。

絶対的な正しさ、間違いというのは存在しずらい。

正しい選択などない

その行動が将来的に正しいと言えるかどうかの予想はできない

そもそも絶対的に正しいという価値観は存在しない

この二つの考えを大事にしたときに、結局何を基準に行動したらいいのか、と虚無的な感情になることもある。

ただ、一方でふわふわした感じというか、世の中がドロドロというか霞んだ霧のようというか、なんとも言えないぬるっとしたものに見えて、それが心地よく感じることもある。

そういったぬるっとした感じで世の中を見た時に、何を基準に行動すればいいかというとそれは本能的な何かでしかない。

本能的な何かというと、生理的な行動を思い受けベルかもだが、それはそれで大事なのだが、それよりも考えたいのが、本当にやりたいことは何かということ。

何をしても将来どうなるかはわからない、何をしてもそれが正解かどうかを決めることはできない。

だからこそ、今どうしてもやりたいことをやる。

どうしてもやりたいことをやった結果、どうなるかもわかならいし、その結果に良し悪しもない。

だからこそ、今心からとにかくやりたいことをやる。

なぜなら、今この瞬間のやりたい、という感情、そしてそれを実際に行動しているときの充実感、ここは確実に経験できるから。

そしてその経験は他の何よりも尊く貴重である、と僕は考える。

社会的な価値観、自分ですら無理やり思い込ましている価値観、そういったものを取っ払ってとにかくやりたいことをやる。

これだけが、これこそが人生を生きる、ということにおいてただ唯一と言っていいほど価値があるものではないか。

僕はそう思う。

ただここで難しいのが、自分が本当にやりたいことを見つけること。

こちれについてはまた今度書く。

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