思索– category –
-
思考を進める価値があるか観るという発想
頭の中には、毎日たくさんの思考が浮かんでは消えている。不安、計画、反省、妄想、比較、後悔…。 でも、ある日気づく。 思考は「浮かぶもの」であって、必ずしも「進めるもの」ではない。 この視点が持てると、コンディションが明らかに変わってくる。 【調子がいい日の頭の状態】 調子がいい日は、思考の量が少ないわけではない。 違うのはここ。 思考が浮かぶ↓そのまま乗らない↓一度だけ観る 「これ、進める価値ある?」 このワンクッションがあるだけで、 頭の静けさが違う エネルギーの消耗が減る 不安ループ... -
思考回路の手前で止まる
不安や虚無は、人生の問題というより、思考のルートの問題かもしれない。 人の思考には、ある程度決まった流れがある。 例えば、 暇になる↓将来を考える↓不確実性に目が向く↓不安になる あるいは、 何か達成する↓満足が続かない↓「意味って何だ?」↓虚無感 こういう流れは、性格というより、いつも通っている思考の道だ。 【思考のクセ=脳の配線のクセ】 脳では、同じ思考や感情を繰り返すほど、その回路が強くなる。 よく通る道が、メインルートになる。 不安を繰り返せば、不安の回路が太くなる。自己否定を繰... -
満足感は「所属 × 貢献実感」で決まる
最近、人の満足感って何で決まるんだろうと考えていて、ひとつしっくりくる整理がある。 満足感 = 所属 × 貢献実感 この2つがそろったとき、人は自然と満たされる。 逆に、どちらかが欠けると、どこか虚無や不安が出てくる。 【なぜ「所属」が必要なのか】 人はもともと、集団で生きてきた生き物。 昔は、 仲間に必要とされる → 生存 仲間に不要とされる → 追放 → 死 という世界だった。 だから脳には、 「自分はどこかに属しているか?」 を常に確認する回路がある。 現代ではこれが、 家族 会社 コミュニティ 社... -
ラマナ・マルハシから学ぶ、なぜ「私ってなんだろう?」と考えるのか?
私たちは、もしかしたら、これまでになく「自分」という存在に迷いやすい時代を生きているのかもしれません。SNSを開けば、誰かの素敵な人生がキラキラと輝いて見えて、社会は私たちに「ちゃんとした何者かであること」を求めてきます。仕事ができる人、素敵な親、あるいは丁寧な暮らしを送る人…。たくさんの役割と、あふれるほどの情報の中で、「本当の自分」という感覚は、まるで淡い霧のよう。掴もうとすればするほど、指の間からすり抜けていってしまう気がしませんか? 多くの人が「自分探し」の旅に出かけま... -
なぜ「どうせ死ぬ」という事実に、絶望する人と自由になる人がいるのか?
「人間はいつか必ず死ぬ」「私たちの悩みやこだわりは、すべて壮大な思い込み(幻想)に過ぎないのかもしれない」 もし、あなたがこんな考えに触れたとしたら、どう感じるでしょうか。ある人は「なら、何をしても無駄だ」と虚しさを感じて絶望し、またある人は「そんなものに縛られなくていいんだ!」と、心が軽やかになり自由に生き始めるかもしれません。 同じ「真理」とも言えるような事実に触れても、なぜ人によって光になったり、闇になったりするのでしょうか。そして、そもそも、このような話を「聞きたく... -
神から沈黙への変換と悟りの3段階
拝啓、考え続けるあなたへ。 部屋の片隅で、あるいは雑踏のカフェで、ふと「一体、何のために生きているのだろう?」という、重く、しかし抗いがたい問いに捕まることはありませんか?その問いは、答えのない虚空に響き、私たちを心許ない気持ちにさせます。 この記事は、そんな孤独な思索者たちのために、ある刺激的な対話の軌跡を再構成したものです。それは、17世紀の哲学者パスカルの古典『パンセ』の有名な一節から始まり、神、沈黙、ニーチェ、そして現代思想の迷宮を縦横無尽に駆け巡り、やがて「生き方」...
1